こんにちは、結城あすかです
私の紹介をさせてくださいね。
いったい何をしている人か?不思議に思われる方もいらっしゃると思いますので、
少し長いですが、読んでいただけると嬉しいです
機能不全家族の中で育った私が人生を取り戻すまで
奈良県に生まれ、10歳で両親が離婚。
母に引き取られ、21歳で独立するまで、過干渉の母と2人だけの生活が続きました。
中学、高校時代は家事と内職の手伝いで帰宅部。
本を読んでいるとよく叱られました。
大学進学は女だから必要ないと反対され、
せめて短大には行かせてほしいと頼み込んで、何とか母を説得しました。
しかし卒業間近のある日、親戚の男性との縁談が浮上!
私を近くに置いておきたい母は、多いに乗り気で、何としても結婚させたかったのです。
私は子どもの頃から母に逆らったことがないので
(ある理由があって)この時も渋々納得させられました。
その後、この話は大人たちのいざこざで進展しない状態が続き、
私は願ってもないチャンス!家を出ようと決心しました。
就職が理由なら穏便に家を出られると思い、その時に浮かんだのがCAになることでした。
ラッキーなことに21才で日本エアシステムに入社することができました。
今は日本航空に吸収されてなくなってしまいましたが〜😅
それから6年間、伊丹空港勤務で女子寮に入り、
遅くやって来た青春を楽しんだ後、パイロットと結婚!…にはならず、
空港で知り合った公務員の男性と結婚!
結婚の後は仕事を辞め、転勤族の夫と4人の子供の世話のため
約20年間、専業主婦として過ごすことになります。
振り返ると今でこそ働かずに家庭のことに専念できたことに感謝できますが、
それは今だから言えることで…
当時はインターネットも携帯もなく、家庭に入ると社会から全く切り離され、カゴの中の鳥状態!
夫は年月と共に少しずつ役職が上がっていき、
それに伴い、いつの間にか私も妻ではなく夫の部下になっていきました。
朝起きるとまた変わらない1日が始まるのか…とため息をつく、そんな毎日が続いていました。
子どもは4人生まれましたが、上の子といちばん下の子は6才しか離れておらず、
その間に2人生まれたので、ほとんど年子を育てているようなもので、忙し過ぎる毎日を送っていました。
おまけに次男と三男は喘息持ちで、夜中に病院に駆け込むことも度々!
次男は紫斑病と肺炎で入院し、夫も肝臓で入院したりと、怒涛の20年でしたが、
その間も母にはいっさい知らせず、友人や知人の手を借りて乗り切りました。
母に知らせるのはいつも物事が落ち着いてからでした。
知らせると返って問題が複雑化し、とんでもないことになるのは目に見えているからです。
そんな日々なので私の30代は忙し過ぎて何をしていたのか、ほとんど記憶にありません。
あっという間に時は流れた、と言うのは簡単で、時に忘れられたような子育て期でした。
20年近い専業主婦に終止符を打つことになったのは、
「お前に何ができるんだ!」の夫の言葉がきっかけ。
それでとりあえず、50歳で週に2日、近くのブティクに勤めることにしました。
それと同時期に月刊誌の読者モデルに応募したところ
またまたラッキーなことに採用され、50歳の読者モデルに!
ブティクの方は週2だった仕事も週3、週4と増えていき、
結局10年間ブティック勤めをすることになりましたが、
10年目にお店が閉店してしまいました。
その時までライフスタイルに合わせてパートの仕事をしていただけの私の職歴。
いったい私に何ができる? この時私は60歳でした。
そうだ、私は着物の仕事がしたかった、着物講師の資格も持っていたんだ、とまたまた一念発起!
そして和装小物、着物販売、着物着付け、を経た後、SNSで見つけた
「着物の立ち居振る舞い」の講師になることにしました。
それと同時にブログを始めたところ、見てくださった海外の方からも
お申し込みが続きました。
この頃は楽しい時期でしたが、まもなくコロナが始まり、対面でのレッスンが出来なくなりました。
そんな折り、奈良に住む母が倒れ自宅介護が始まりました。
ありがたい事に親戚がヘルパーさんの派遣会社をしていたので、
できる限り地域や皆さんにお願いし、私は時々実家に帰る、という形を取りました。
そんな時に私は「一冊の本」と、本当の自分に気付かせてくれた
「数秘」に出合うことになります。
これが私の生き方を大きく変えることになりました
母を含め、母の兄弟姉妹一同、変わった人たちだと思っていましたが、
まさか自分が機能不全家族
育ちだったとは…
母のみならず、毒叔父、毒叔母に囲まれた子ども時代を過ごしてきたこと、
これまでの生き辛さの原因がそこにあったことが、やっと理解できました。
母を毒親とは呼びたくないというのが私の本心です。
どんな家族でも子どもは親が好き!
傷つくことを言われても許したいという気持ちがあるものです、
あの頃の私は、我慢して母の言いなりの人生を送るなら、
いつかは母を憎むようになるだろう。
それなら自分自身で道を切り拓いて行こうと決め、家を出ました。
最初は自由を満喫していました。
でもそのうち、解放感ではなく
罪悪感を感じるようになったのです。
何十年もの間、その感情に苦しめられました。
そしていくら頑張っても、自分に自信が待てない。
そして一冊の本と数秘に出合いました。
それが私の人生を大きく変えることとなったのです。
ずっと心の奥底でくすぶっていた罪悪感を感じる必要なんてなかったこと。
私は自分の幸せを追い求めたことは間違ってなかったこと。
そして、ずいぶん回り道をしましたが、
私がずっと伝えたかったことが何か ?
がやっとわかりました。
それは
これまで自分の感情を抑えて、我慢して、自分を後回しにして生きてきた女性に、
「もう誰にも遠慮せず、これからは自分の望む人生を創っていきましょ。
第二の人生は後悔しない人生にしようね。たった一回の人生なんだから」と伝えること。
自分を1番に愛してあげることが何よりも大切なことを
それが、これから私が、セカンドライフを送る女性にお伝えしたいことなんです。
これからは自分色に染められた、豊かな人生を歩んでいきましょう。
今日の日があなたにも私にも美しい日でありますように。