自分を取り戻す旅 ── 結城あすかの物語
こんにちは、結城あすかです。
今日は少し長くなりますが、どうぞお付き合いくださいね。
私が「自分の人生を取り戻すまで」のお話です。
機能不全の家庭で育った幼少期
奈良県に生まれ、10歳の時に両親が離婚。
母との二人暮らしが始まりました。
中学・高校時代は家事と内職の手伝いで帰宅部、
本を読んでいると叱られる日々。
大学進学を願いましたが、女だから必要ないと反対され、
せめて短大にだけでもと必死に説得して進学しました。
しかし、卒業間近に親戚の男性との縁談が浮上。
母の強い希望で、私は逆らうことなく受け入れました。
でも、その話が進展しない状況を「チャンスだ!」と捉え、
家を出る決意をしました。
そして思いついたのがCA(客室乗務員)になることでした。
自由への第一歩 ── CAとしての青春時代
21歳で日本エアシステムに入社し、伊丹空港勤務。
女子寮で過ごした6年間は、
まるで遅れてやってきた青春のようでした。
そこで知り合った公務員の男性と結婚し、
専業主婦として4人の子供の育児に専念する日々が始まりました。
専業主婦から社会復帰へ
20年近く家庭に専念する中で、
時には「夫の部下」のような感覚に陥ることもありました。
そんな中、夫からの一言──「お前に何ができるんだ!」
この言葉をきっかけに、50歳でブティックで働き始めました。
さらに、月刊誌の読者モデルにも挑戦し、
週2回だった勤務は徐々に増えていき、10年間続きました。
着物の道へ──新たな挑戦
60歳でブティックが閉店した時、
「私は着物の仕事がしたかったんだ」と再び決意。
着物講師の資格を活かし、SNSを通じて海外の方々とも繋がるようになりました。
しかし、コロナ禍で対面レッスンが難しくなった頃、
奈良の母が倒れ、介護が始まりました。
数秘術との出会い──本当の自分に気付く
母の介護の傍ら、一冊の本と「数秘術」に出会いました。
自分が機能不全家族で育ったこと、
母だけでなく毒叔父や毒叔母に囲まれた幼少期、
自分がずっと抱えていた生きづらさの原因がわかりました。
それでも、母を「毒親」とは呼びたくありません。
どんな親でも、子どもは親を愛している。
たとえ傷つけられても、許したいと思う心があるのです。
解放と罪悪感の狭間で
家を出たことで自由を感じたものの、
解放感はやがて罪悪感へと変わりました。
母を置いて自分だけが幸せになって良いのか──
子供達と楽しい時間を過ごしている時に、突然その思いが襲ってくると胸が締め付けられるような感覚に陥ります。
でも、何十年も心の奥底で燻っていたその感情を、
数秘術は解きほぐしてくれました。
自分を大切にすること、自分の幸せを追い求めることは、
決して間違いではなかったのです。
やっと私に還ることができました。
これからのセカンドライフを共に歩むために
長い旅路の末に辿り着いた答え。
それは 「もう誰にも遠慮せず、自分の望む人生を創っていこう」 という想いです。
これからのセカンドライフは、自分らしく、心豊かに
我慢するのではなく、自分自身を愛して、心の声に従って生きる。
「たった一度の人生なんだから、後悔のない道を歩みましょう」
それが、私がこれから皆さんに伝えたいメッセージです。
次はあなたの番です
もし、あなたも私と同じように、
「自分の人生を取り戻したい」「自分らしく生きたい」と思うのなら、
一歩踏み出してみませんか?
私は、数秘術を通じてそのお手伝いをさせていただきます。
“わたし発見の数秘プログラム” で、
あなたの心の声を聴き、未来への道しるべを一緒に見つけましょう。
あなたの物語も、今から始まります。
今日の日があなたにも私にも美しい日でありますように。